㈱牛コンサル 酪農コンサルタント 代表中野です。

偶然得た「利益」には何にも価値がない・・という話し

乳価が上がったのは、それはあなたの実力で変わったことなのか?ということである。努力すれば、乳価は上がるのだろうか?言ってしまえば、たまたまである。でも、乳量が伸びたこと、個体乳量が30キロから35キロになったとしたら、それは、もちろん運もあるだろうけど、運だけでは達成できない、そこには、努力すべきことが沢山ある。牛の飼い方、コンフォート、エサ、粗飼料の問題、敷料はどうか?など、やるべきことは沢山ある。
対して、乳価は「値上げしろ!」と努力すれば何か変わるのだろうか?
もし、そうならば、平和になれ!と言えばウクライナの戦争もすぐに止まるし、台風も日本に来るな!といえば来ないだろう。

前回の続き

言われてしまえば、当たり前のことだが、なぜか、この当たり前のことが理解できない、もしくは、忘れてしまうのはなぜだろうか?

この時、気づかなくてはいけない。
我々経営者は、もういい歳だということである。オッサンである。
これは、年齢だけではなく、怒られることがないのである。
怒られることがない・・というのは、誰も注意してくれない。つまりは、自分で自分の間違いに気づかなくてはならない・・ということである。
サラリーマンなら、仕事上のことであれば、上司が怒ってくれるかもしれない・・が、経営者は、もう誰も怒ってくれない。間違いなく、拗らせやすい職種と言える。たとえ、間違っていても誰も注意してくれないのである。

誰も注意してくれないと、どういう人間になるか・・
自分が全て正しいマンになってしまう。
経営コンサルとして、あらゆる経営者に携わってきたが、自分を含めた全て経営者は「自分の経営は全て自分のやり方が正しい!」と本気で思っている。むしろ、そう思えないと経営者としてやっていけない・・と思っている人間が多いと思う。それぐらいの気合と根性がないとダメだと・・。
これには、1つ注意がある。それは、自分で自分を客観的に見ることができるかどうかということである。自分が正しいと思うのではなく、普遍的に正しいことなのかどうか?ということである。

融資を受けたお金で、外車(高級)を買うことが正しいことなのだろうか?
これは、誰でも答えがわかる。
では、社長が自分の給料の中で、好きな外車(高級)を買う行為は正しいのだろうか?
これを論理的に説明できる人は多くないと思う。

この自分の間違いに気づかないまま、突き進むともはや手遅れと言ってもいいような状態になっていく。
曲がった枝がそのまままっすぐ大きくなっていくように、そういう歪んだ経営になっていく。
そして
「自分は決して悪くない」
「それなのに、なぜ、経営が良くないのか」
「自分は正しいのに・・そうだ、どこかに悪い奴がいて邪魔しているんだ」
「どこだ、その悪い奴は?」
という思考になっていくのである。

乳価が上がることを否定しているのではなく。乳価が上がることを望む経営をしているのである。それは、宝くじに当たらないかな〜と言っている人と同じということである。
そうではなく、自分の努力で「運」を引き寄せる経営をしてほしいとそう思う。