『困難に直面した時、すぐに他者を頼るのではなく、まずは自分自身で考え、行動し、解決しようとする姿勢が重要である。自分の力で乗り越えようとする努力の積み重ねが、人間的な成長や自信に繋がる。大企業を作った先人たちが必ず言う「運」とは、この努力の積み重ねを行なった先の先に起こりうるモノである。経営者の努力なくして、「運」「神風」が起こることはない。』
これがいわゆる経営における自助論である。

経営が悪い理由を、景気や円安のせいにしない。経営が悪いのはコストの問題ではない。自分の経営能力に対して、自分の能力を疑わなくてはならない。本当に足りないものは何なのか。
今できることはすぐにやる。すぐやる、必ずやる、できるまでやる。ダラダラと先延ばしにしない。先延ばしになってしまっているものはないか。すぐにできるものを、ダラダラとやっていては、経営は進まない。
さらには、自分が今やっている仕事は、100%であるか?企業が社会に提供する商品は、100%でなくてはならない。万が一でもあってはならない。99%以下の商品は、必ず退場する。我々は、100%の商品を提供することができているだろうか。
先日もある投稿が目についた。
その方は、農業者であり、今の農業者の収入について書いていた。そこには、最低限の生活、世帯で最低800万円の収入は補償すべき、というようなことが書いてあって、びっくりした。日本の世帯年収の平均は530万円ほどであり、800万円は高額の部類にはいる。それを最低限という感覚。「楽して儲かる商売はない」もしも、800万円の世帯年収が欲しいのなら、それ相応に努力しなくてはならない。しかし、売上が増やしたくない、採用も増やしたくない、今と同じ状況でもしくは今の状況の延長線で、と考えるならそれは不可能である。その不足分を補償で補おうとするのは、無理がある。
これこそ、自助論の理屈からも大きく外れている。