我が身に降りかかる一切の出来事は絶対必然であり絶対最善であると。
経営者をしていると、自分の上に上司はいないわけで、最終責任者であり、最終決定者でもあります。そうした中で、「なんでこんな不幸が!?」というような出来事が起こってしまった時にも、決してそこから逃げられません。
最善観とは、たとえ不幸に思える出来事でも、逃げることはできないし、絶対に最善である、ということ。最善と思えれば、ごちゃごちゃと余計なことを考える余地もない。なんで・・自分ばかり、政府がーーとか、失われた30年とか、そんな余計なごちゃごちゃを考える必要もない。ただただ「天がわざわざ失敗させてくれたのか。もうちょっと勉強しなさい!ということか。」と、前向きに考えること、これが最善観。
人は、何か不幸が起きた時にそれがなぜ起きたのか?それが自分が原因なのか他が原因なのかを分析する。分析自体は悪いことではありませんが、この分析が「再発」防止なら良いのですが、同じ失敗を2度と繰り返さないためのものならば問題がありませんが、この分析を、他責の言い訳に使う傾向が強いわけです。
機械が壊れてしまった・・あるあるです。これが、壊した原因よりも、直す機械屋さん、彼らに対する修理費や手数料が高い、勿体無い、こう考える傾向が強いわけです。そもそもの原因ではなく、そこで発生する不透明に見える費用ばかりに目を向けてしまう。しまいには、修理費用で儲けている奴ら、となってしまうわけです。これは、機械屋さんだけでなく、行政、農協、そういったサービス業ではよく起こりうることです。
こんな余計なことをごちゃごちゃ考えるのではなく、この危機をどう乗り越えるのか、どうやって乗り越えるのか、その方法論と考えた事の実行力に重きを置くべきだという事です。そして、この不幸を自分の勉強として捉えることができるかどうか。零細経営者には、他人のせいにしている余裕はありません。他責にしている暇はないのです。次々と、改善して、新しいチャレンジをしていく行動力が必要なのです。