中国のトレンドワードに「日本の死気」が上がっているそうで、興味深いので、記載しておく。

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「前に私は『日本には死気が漂っている』と言ったが、多くの人が信じなかった。

しかし、今見てみれば、その”死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる。

死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へ狂奔するだけだ。

私たちは、日本の現状をある程度理解しなければならない。(日本を教訓とせよ、と言っている)

日本のここ数十年の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果”ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。(中国のSNSで生まれた言葉で、表層的な演出によって、少子高齢化や貧困などの根深い社会問題を覆い隠している状態の国のこと、若干の揶揄)

そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
日本は、数十年ものあいだ変化のない”死んだ国”なのである。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産などの日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて日本7大メーカー全てが減益となり、合計損失は、約100億ドルに達した。

今年9月には、中国における日本車のシェアは、11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。本拠地である北米市場すら、前例のない急減となっている。
自動車産業は、日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは、500万世帯に関わっている。もしも、この産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。

日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本の旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界で生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横にはハンコを押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年と動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上にいくチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る”先輩”が大量に残っている。
数十年の停滞の中で、日本人は皆”真面目なフリ””積極的なフリ”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質なように見えるが、実は責任逃れのための”免責文”にすぎない。企業も社会も、誰もかもが”不粘鍋(責任が付着しない鍋)”なっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人一人から漂っている。

今、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AI はほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから、彼らは、時折”発狂”せずにいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だ F15 (1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている。

こんな状態で、何を賭けられるというのか?

家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀をしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくり、最後には行き詰まる。

しかし、日本がどうしても無理に突っ込むというならーーそれはそれで”成就させる”しかない。
なぜなら、ゾンビでさえ自ら墓場には入らないからだ。
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